聖オーガスチン 

この教会が名前にいただいている聖オーガスチンについて簡単に書いてみます。


聖オーガスチンは英語読みでして、一般の方には、アウグスチヌスと言った方が誰のことか分かるかもしれません。そう、あの有名な「告白録」の著者です。彼は告白録ばかりではなく、誕生したてのキリスト教会が出合った色々な異教・異端(マニ、グノーシス、アリウス、ペラギウスなどなど)から教会の真理を守った著作が多く、4大公会博士の一人とされています。聖オーガスチンは430年8月28日に76歳の波瀾万丈の生涯を閉じたので、教会では8月28日を聖オーガスチンの日としています。

北アフリカの小都市タガステの出身で、北アフリカ最大の都市カルタゴの大学を20歳で卒業した。19歳にして長男を得るなど、このころは放蕩に身を任せていた。それに嫌気をさして、アフリカから、ローマ・ミラノと職を求めて移るが、放蕩の癖は直っていなかった。

ミラノで修辞学の教授の職を得ていたとき、時のミラノの主教聖アンブローズの感化を受け、決定的な回心をし、387年の復活日徹夜祭に洗礼を受けた。そして、生涯を神に献げる決心をして故郷・北アフリカに帰った。北アフリカに帰る前に母聖モニカ、帰ると直に長男が死んだので、責任を負うべき身内がいなくなり、彼は同志友人と清貧の生活をし、祈祷と研究と執筆に精進した。彼の願いは隠れた生活(このときの規律でアウグスチン修道会が誕生し、現代でも男子・女子それぞれの修道院が存続している)でした。がしかし、その博学と雄弁は次第に人々に知られ、391年、37歳で司祭、その5年後、396年にヒッポの補佐主教に選ばれ、翌397年、前任主教の死によって、ヒッポの主教に着座した。その後、34年間忠実に主教の務めを果たしつつ、修道と神学研究・異端者との論争に全力を尽くし、教会にとって大切な、多くの貴重な著作を残した。


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Last updated: 29 May 1997